文14、夢多き美容人生
昭和52年茨城の美容学校を卒業後その当時は校舎も古く男性も少なく何もかも色あせて見えていたように感じます。でも目のおくでは夢多き希望を抱く輝かしい未来が有ると信じていました。そのころ、流行った矢沢、井上の歌がバイクの爆音と共に青春を通り過ぎていきました。北海道をバイクで旅して、俺の行く道はこれだと一周した時に「これしかないと心にきめた時」大海原が目の前にあった。11日間のツーリングの旅を終えて気持ちは今も色あせる事なく1200ccのバイクをあやつって、美容というおおものにアクセル全開で望んでいます。そのころの自分は高給より!よき先輩!よき技術指導してもらえる店を望んでいました。お蔭で沢山の美容人生を歩んでこられました。京都国際会議場で自衛隊ブラスバンドの行進曲で旗手団を勤めたり大阪、東京、北海道、とオリンピック形式で2000名以上のエリート美容師たちが全員スーツに身をまとい、毎月の月例会での勉強を発表する場として技術以外の経営の事について色んな体験談発表や人材育成について勉強をしてきました。アメリカ研修にも行きましたし、大きなコンテストにも出場してきました。美容人生にも何回かやめたい時期もありますが、そのつど何か目標をもちながら前を照らしながら歩いてきて現在にいたります。やめたいと思う美容であったのに、いつもその美容の仕事が気持ちをささえてくれていました。美容を取ったら自分には何もなくなってしまう!ゆいつ生きてきた証しがちゃんと有る事にきずいてから、また、歩き始められるエネルギーをみいだしたりしてきました。自分の店を43歳でもてるまで長い道のりでした。結婚、子供、借金、健康その他、、全てクリアしてきました!これからは今までの中身も充実させながらお客様方へサービスしていきたい。仲間や知り合いの人達をみると何店舗か持っている人ばかりで落ちこぼれた気持ちでいましたが!なんとか第1チェックポイントはOKかな!これからが折り返し地点、25年以上ある人生を美容にささげたい。この本をまとめる事で残りの人生のエネルギーにしたいと思います。社会に役立つ流行ヘアーの作品創りをしながら実績を残して行きたい。本当に美容こそわが命です。美容を志しているだれもが本当は命を、かけているにもかかわらず手を差し伸べていない!いるのはほんの一握り!悔しくありませんかね!それぞれに生き方があって当然ですが!その人達は、本当に努力家たちですね。いつも海外や他で合う人たちは仕事に対して良い意味での馬鹿がつくほどまじめです。やはり大好きなんだよな美容の仕事が!尊敬しています!仲間たちを!そして見習いたいですね!本当です。 |

18才の夏,北海道に1人旅をしてきました,前から計画していた北海道一週の旅はこれからの人生の決意を
確かめる旅でもあったと思います。1人になってみて本当の自分との対話ができたと思えた北海道でした。
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