*ちょっと、聞いてくださいませんか。
クライアント「顧客」の高いニーズに応えられる、美容師を目指して18歳〜44歳2002年11月現在にいたる迄、そして、ここ3年間海外に目を向けて来ましたが、常に試行錯誤の繰り返しで、どうまとめていったら良いのか!美容師を志して、技術を身につけて、これならやれると思える時が、かならずくると信じて10年。そして、店を持ってから早14年、少しずつですがコンテストも休みを返上しながらも、ずっと続けてきて今思うに、いやずっと思って来た事かも知れませんが!心のすき間を埋めるものがほしかった。それが、高いニーズに応えられるお客様への本当のサービス、その人なりの精一杯の歴史を見ていただいて、知ってもらえる喜び。心からお客様へ接客できる事、人生を楽しく、お客様も楽しく時間の過ぎるのも忘れてしまう仕事をしたい。同業店の多い中、皆精一杯に生きていますが!他をうらやむ事も多いし!どう頑張っても、悪あがきしてもどうにも成らない事もわかるし!そう思った時自分は「自分」精一杯に毎日生きてきたんだし、その道理の事しか無いんだし、その道理の事を本にまとめたくて、パソコン片手に、合間を見て休みも返上して、自分なりの他には無いような感じにまとめてみました。そして、どんな店創りをしたいか、いつも他をみるとあまりにも低料金が選考し過ぎて、心の満足料はと思った時バランスのとれた店創り、ハード面とソフト面まだ未完成のままですが、いずれは大きな目標としてこれからも積み上げて行きたいです。日本の美容の歴史を振り返るとほとんどの美容技術は海外から輸入され、学び得たものです。その大半が昭和という時代に見事に吸収されましたが、良いとこ取りの名手の日本人も、他のアジアの国などに行って見るとその吸収得た力も、さらにそれらを上回る力で吸い取られるような、激しいハングリー精神で追い越されてしまうであろう雰囲気を感じます。また、それが大切だと思います。もう1部は追い越されているのでは?広い意味でね!戦後コールドパーマが広まってピンカールシステムが日本国内でも盛んになりアメリカ人のアール・テーツのテクニックが広まりました。カットではジオメトリックカットを全世界に広めたヴィダル・サスーン人間の骨格を徹底して分析した、幾何学的カットでサスーン旋風と呼ばれ、1970年代には日本初来日し、帝国ホテルでショーを開催し、このショーではサスーン本人が司会をし、ロジャー・トンプソンが中心となってサスーンカッテングの技術を披露しました。上を目指すとこうなるのですね入場料が1万円(当時の大学卒初任給が4万円)
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京都国際会議場にて自衛隊ブラスバンドの行進曲にて旗手団を行いました。
修業時代は厳しいくらいが良いなと後になると思いますね!後になってその精神が生きてくるように思います,
ずっとそうし続けてきた結果だとも言えますが!これからも残り25年つづけられる事を期待します。
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